日弁連:デンマークのフレキシキュリティ調査報告

2011 年 1 月 16 日 casuob コメントはありません

1月14日、日弁連の主催で、デンマークの積極的労働市場政策に学ぶと題したイベントが開かれ、フレキュリキュリティと呼ばれる労働市場政策で近年注目を集めているデンマークの現地へ出向いた弁護士・研究者らの報告会が、東京・霞が関の弁護士会館で開かれた。

フレキュシキュリティとは、柔軟な労働市場、手厚い失業保険制度、積極的労働市場政策(職業訓練の充実)の3要素で特徴づけられる労働市場のあり方で、2006年に行われた世界幸福度ランキングの調査で一位を占めたこともあるデンマークにおいて、そうした政策がどのように機能しているのかがメインテーマの会だった。他にイベントでは日本での職業訓練制度の最近の動向も、訓練生の声を交えながら紹介された。調査の詳細な報告書は近日中に日弁連のサイトに掲載されるとのこと。

細かな内容は報告書に譲るとして、基調報告をした根本到氏(大阪市立大学教授)の話の要点は…

●フレキシキュリティといえば、解雇規制の緩さが話題なり、解雇自由と誤解されがちだが、決して解雇自由ではない
●デンマークの労使関係(の協約)は、国の法律にかわる規制として機能している
●柔軟な労働市場は公的保障(手厚い失業保険や無料教育)が前提となっている
●近年は失業給付や就労支援の受給者は、求職への姿勢が求められ、努力がみえないとペナルティを課される
●就労支援は近年の改革で自治体の管轄になった。ただ資金面は国が負担しているため、支援の量的成果のみを追求し資金を得ようとするなど負の側面もある

またデンマークから示唆を得ようとする際、留意すべき点として…

●18~65歳の労働力人口は約280万人で、国の規模が違う
●2000年代の低失業率さは、改革の成果か、一時的な好況のおかげか、議論がある
●フレキシキュリティは金がかかると思っていたほうがよい
注:報告書によるとデンマークは労働市場政策にGNP比で4.5%を充てている。
●フレキシキュリティは労使関係の規制システムが全体を調整している
●金融恐慌後は失業率も上昇し、今のモデルが維持できるのか不明

・・・などといった点が指摘されていた。報告会では他の報告者からも出た話だが、デンマークの制度は、長い時間をかけて歴史的に形成されてきたシステムであり、制度を導入するのは簡単ではないと強調されていた。さらにパネルディスカッションでは、首都圏青年ユニオンの河添誠氏から、日本国内の改革の議論では、解雇規制の緩和の話にすぐいくんじゃなくて、職業能力をつける機会を分厚くする必要があるといった提言があった。

<感想>
フレキシキュリティの実効性には、労使間の個別の協約の果たしている役割が大きく、とりわけ労組の影響力が重要といった主張が報告会の通奏低音にあったような気がする。ただ弁護士会といえば、労働組合運動のようなかたちで声をあげた人々とつながりをもちがちだから、それを前提条件として聞く必要があると思った。

◇参考
日弁連 – デンマークの積極的労働市場政策に学ぶ~日弁連デンマーク調査報告



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『平成ジレンマ』 ―ドキュメンタリー鑑賞―

2011 年 1 月 14 日 casuob コメント 1 件

試写会にて鑑賞。チケット献呈御礼。

問題を抱えた子どもをあずかり、ヨットを中心とした肉体的鍛練を通して一人前の人間に育てるとする戸塚ヨットスクール。訓練生に暴力を加える姿勢、それも死亡事件や行方不明事件まで起きてしまうほどのプレッシャーを与える姿勢が、社会的な非難を浴びて30年余り。この作品は、刑事責任を問われ6年もの実刑に服した校長・戸塚宏氏が運営する戸塚ヨットスクールの現在を映し出したドキュメンタリーである。

 

実刑に服した校長・・・普通は教育者たる校長と服役を指す形容が結ばれることはないが、今も戸塚ヨットスクールは、最後の駆け込み寺であるかのように訓練生を集め、社会の求めに応じている。現在の訓練生は10人ほど。映像は臨時の訓練生も含めた幾人かの姿を、スクールを出たその後も含め追っている。薬物と暴力がおさまらない青年に自分の手で殺してしまおうかとまで思いつめた家族。精神障害と自傷行為に万策尽き果てて女子高生を託す家族。それぞれの姿がさらけだされる。

 

「子どものためを思っての体罰でないと」「いじめは進歩のためにある」。今もそんな考え方を口にする戸塚氏だが、現在のスクールからは苛烈な暴力は消えている。正直、過去の映像からうかがえる暴力は正視しづらいものがあり、軌道修正は必然だったと思える。

 

だが子どものためを思ってのやさしさが何を生み出してきたのか。この98分の映像を見ると、もやもやした思いがわいてくる。肉体と精神、あるいは身体と脳の関係を明らかにする研究がさまざまになされている現在、負荷が与えられる環境が人間の成長にあたって重要であることはデータを示して語られることも多い。今の戸塚ヨットスクールは仕事が続かない若者や引きこもりの経験をもつ青年層の人々をも受け入れている。誰かが対応しなければならない、それでいて誰もが対応したくない問題、そんな問題と向き合っている現場が、そこにはある。

 

ただ、負荷の与え方に唯一の正解があると思えないのが、そうした問題の難しいところだ。映像を見ながらときどき引っかかったのは、ナレーションが戸塚ヨットスクールや児童相談所が受け入れてきたような子ども達を形容するとき、“不登校や非行”というワンセットのフレーズで語っていたところだ。たしかにそう形容するしかないのだが、まるでタイプの違う子ども達が、社会から逸脱した子どもということで、ひとまとめに対応されていることを象徴するようなフレーズだと感じた。おそらく我々の社会自体が、そうした子どもたちを、一緒くたに見る視線をもっているし、個別の対処をする余裕をも失ってしまっているのだろう。

 

映像は最後に、戸塚ヨットスクールに再び世間の目を向けられるときが来ることを予感させるような不穏なシーンが出てくる。あと味の悪さが残るというか、制作者のとまどいが漂う終わり方だ。そのラストは見ていただくしかないが、答えのない問いを投げかけられたようなやりきれなさを覚える。誰がどうしてこうなった?この社会、この自分。「少しずつでも成果を挙げ続けないとねぇ」・・・会場を出るとき、映像の中盤にあった戸塚氏のそんなつぶやきが自分には蘇ってきた。

◇映画『平成ジレンマ』はポレポレ東中野ほかで2月5日より公開。関連してポレポレ東中野では同映画を製作した東海テレビのドキュメンタリー傑作選も上映予定。

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分析要する困窮者減少?のなぞ

2011 年 1 月 9 日 casuob コメントはありません

湯浅氏話す



年末年始の4日間、湯浅誠氏ら有志が生活困窮者を対象に、過去2年行われた年越し派遣村に替わるべく、民間の取り組みとして行った電話相談は、最終的に105人からのアクセスがあったと報告されている。 湯浅誠からのお知らせ: 「年越しSOS電話相談」結果報告(確定版) 
 

自分はツイッターでつぶやくぐらいのことしかできなかったが、先月31日、湯浅氏が電話相談を行うことを発表した場に出向くことができ、そこで発表された支援策の話とは別に、湯浅氏の話のなかに、支援の現場に立つ人ならではの興味深い話があった。

 まず、<年越しSOS電話相談>の発表の場では、湯浅氏は行政の越年支援の見送りには、国と自治体の役割分担の問題が横たわっているとして、次のようなことを指摘していた。

―――現状、福祉行政は自治体行政であり、雇用行政は国の行政ということになっている。困窮者の課題というのは両方にまたがるので、行政の役割分担の問題が出てきて、どうしてもそのはざまに落ち込みやすい。東京都と国の足並みがそろわないと今回のような形にならざるをえない。―――

これは困窮者支援のワンストップサービスを目指すべく動いている人々の中には、ずっとある問題意識だと思われ、改めて書いておきたい。一方で湯浅氏は、考えなければいけない分析中の問題として、あくまで推測との前置きをしつつ、以下のような問題を語った。(要旨)

―――今回は、路上の炊き出しの数、越年の数(=支援を求める者の数)はどうも減っている。雇用情勢全般の厳しさが依然として続いているなかで、それがなぜなのかは、よくわからない。自分はもやいという団体をやっているが、もやいへの相談件数も夏以降は減っている。データを見ても第二のセーフティネットの利用者も減っている。第二のセーフティネットや生活保護での対応が進んでいるのが大きいというのは前提としても、ほかにこのような情勢になっているのはなぜなのか。 ひとつ考えられるのは、一昨年などは特にそうだったが、派遣切りなどの結果、地方から東京へエイヤっと出てくる人がけっこういたが、去年から今年の状況をみると、新卒者ですら非常に厳しいことなどが知れ渡り、東京に行ってもどうにかなるわけでもないということが、本人のみならず周囲のものにも広がり、プレッシャーを押し下げ、都市部への流入圧力が弱まっている可能性があると思っている。全体状況が良くならない中で表面化してこないのは、家族で抱えあい支えあい、なんとかしのいでいるのかもしれない。―――

 

 確かに雇用情勢をめぐるメディアの報道は、新卒者の内定率が上がらないだとか、失業率も高止まりだとかで、厳しさを指摘する声が大勢だ。にもかかわらず過去2年のように体感貧苦とでも呼ぶべき切迫感が社会から減じてしまったように思えるのはなぜなのだろうか。支援制度が整備されてきたこともあるだろうし、外国人労働者が数多く帰国した影響 もあるかもしれない。このなぞについて説得力ある分析の登場をまちたい。


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ウォルフレン氏講演会で体感したメディア激変

2011 年 1 月 1 日 casuob コメントはありません

ウォルフレン氏講演



年の初めにいきなり昨年の回顧というのも変だが、ブログを動かし始めるにあたってなんとも言えない感覚を覚えた体験を書きたい。多分に主観的なものであって、たまたま身を置いた状況を自ら解釈したからこそ生じた感覚だったとは思うが、記録しておきたい。

去年の12月5日、東京・日本橋で、有志の方々の主催で、日本社会の分析などで名高い、カレル・ヴァン・ウォルフレン氏の講演会があった。その日の昼に日比谷で、「市民の連帯の会」という、検察とマスコミの横暴に抗議する趣旨の市民集会があったとのことで、それらへの参加者も多く参加するかたちで開かれた講演会だった。キャパ200人といわれる会場に立ち見も出る熱い講演会だった。

ウォルフレン氏自身の話は、持論である、システムとしか呼びようのない日本の権力構造について、独立国家と呼ぶのも難しい対米従属を見せる日本の現状について、小沢一郎という政治家が問題提起している日本のシステムに対する挑戦について、といった内容。ウォルフレン氏の議論を知る者には、多くがなじみ深い見解だったかもしれない。個人的に興味深かったのは、政治資金の疑惑が表面化してもなお、小沢氏への評価・期待が一貫してぶれてないという点だった。会場に集まっていた人々の大半は、昼の市民集会に参加した人々であったと思われ、小沢氏の政治資金疑惑を追及する検察とマスコミの動向に批判的な人々だったと考えられ、ずいぶんと意を強くしてくれる話だったはずだ。

しかし自分は、会場にいなががら、しばしば別のこと、会場の空気感のようなものに、意識が向いていた。満杯の聴講者が熱心に講演者の話を聞いている。しかもその聴講者のバックグラウンドのようなものを推測しようとしても、日曜日で私服の人が多かったせいか、どんな人たちが集まっているのか全くわからなかった。ただウォルフレン氏の講演を企画した人たちがいて、ただそれを聞きたいと足を運んだ人たちがいた。

会場には複数のビデオカメラがいて、あとでネットをみると、岩上安身氏や山路徹氏の関係者、ネット掲示板の阿修羅の中の人などが回していたようだ。ほかに取材者として主催者の方はヤフーの名前もあげていた。さらに会場ではデジカメやアイフォンで撮影する人も沢山いた。ビデオ撮影の人の中には、セッティングしたのちに、主催者から取材OKをとりつけている人もいたりして、なんとも不思議な感じがした。

要するに、自分はあの講演会で、出来事に興味をもち、そこから得たものを伝えるという作業において、プロとアマの境界線は、限りなく低くなっていることを、まざまざと見せつけられる時間を過ごした。誰もが情報発信ができる時代・・・理屈の上ではそう言われるようになって久しいが、そういう“場”を感じることは、まだそれほどない。

以前自分がそうした感覚を強烈に覚えた体験は、秋葉原通り魔事件の時だった。非正規職の若者の鬱屈に時代の病理を見い出し、その切り口で関心を持つ人も多い事件だ。でも自分にとって秋葉原通り魔事件のとき衝撃だったのは、逮捕の様子を携帯で動画撮影し瞬時にネット上で共有できる状況があることを目の当たりにしたことだった。重要な情報を一瞬で世界に向けて発信できるツールがあって、そのスキルがある人がもう既に存在する。当時動画撮影できる携帯を持っておらず、ネットへの接続も携帯でやっていなかった自分には、メディア環境の変化を知る大きな出来事だった。

ウォルフレン氏の講演会に参加して、これからは、情報発信にあたって、このフラットな環境が当たり前になるんだなという新鮮な思いがした。しかも会場に足を運んだ人の大半は、ネットで情報を得て、足を運んだ人たちのようだった。ネットを通じた情報共有で、特定の目的のために、容易に集団がつくられるさまを目撃したのにも感慨があった。

講演では質問タイムがあり、素早く手を挙げた人を速攻で指名するウォルフレン氏の姿が印象的だった。自分も手を挙げてみたが当たらなかった。してみたかった質問は、「日本の閉塞感を打破するには、ご自身の出身国、オランダなど北欧で採用されている柔軟な労働市場のあり方に日本の労働市場も学ぶべきであるという意見がありますが、どのように思いますか?」だった。

◇参考
権力とマスコミの横暴を正し、人権を守る国民の会
YouTube – ウォルフレン教授講演会(1of7) 2010/12/5 カレル・ヴァン・ウォルフレン




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悔恨モノローグ

2010 年 12 月 31 日 casuob コメントはありません

どうも自分は何か儀式めいた仕切り直しをやらないとダメな性質で、言い訳めいた説明を書かないと一歩前に進めない。過去に思いをめぐらせば、なぜあのときあのように振舞ってしまったのかと思うことばかりで、それとて反省をし次に活かす機会だと考えればいいはずなのに、なかなか自分を直視することができない。年の瀬のタイミングに一言書き残したい。

自分が多くの人に何かを投げかけられてもリアクションすることすら少なくなって、もう長い時間が経つ。生活のため最低限の仕事はしてきたが、本来興味がある分野への関わりからは撤退状態で生きてきた。もう回復はありえない出版不況を前にして、どうも原稿では生活が立ち行かないと感じるようになり、しだいに、今何をやっているのか、次に何をやろうとしているのかを人に説明できなくなり、人との関わりを広げることもできないまま、ずるずると生きてきた。

同業者だった人でも、職種変えをしたという情報が入った人もいるし、消息が途絶えた人もいる(自分もほかの人から見れば消息が途絶えた一人だろう)。似たような境遇だった人、皆がみな、そうではないのだから、それはうまく時代に乗り切れていないということではある。人や情報との関わりをもとうとすれば、それはそれでコストもかかる。仕事は人間関係で回る部分も多くて、何かの誘いを断るといった不義理をすれば、しだいに身の置きどころがなくなり、さらに人との関わりが薄れる。お金と人間関係、両面の貧困スパイラルに巻き込まれてしまうと、自分の身ひとつ守るのが精々のまま、時間だけが過ぎていく。

この間、人間関係を強化したり可視化したりするツールやデバイスがどんどん進化したことも、身をたじろがせるものがあった。何かを発信することは、一気に荒野に自分を曝け出すことであり、責任を負うことでもある。今の時代、単発では何か重要なことを発信できたとしても、持続的にとりくむ姿勢がみえないと逆に無責任になってしまう。世の人皆同じだろうが、こうした環境の変化は革命的事態なのだという思いもあり、それへらの習熟なくして、これからの時代やっていけないぞと痛切に感じるものもあった。要するに、ウェブ時代を生きるスキルを身につけないとという焦燥感があった。

ツールやデバイスといった情報伝達の手段を手に入れるのにはコストがかかる。それは日進月歩で進化するので、情報を追うだけでも大変だ。一方で伝達されるべき中身をつくりだすことにもコストはかかる。手段と中身、その両者をアップデートしつつ、興味のある分野に関わっていくにはどうすればいいのか。

中身をつくりだす局面では、結局、人との関わりの比重が大きい。そこでは自分も評価にさらされ、試される。このところ自分は、人との関わりよりもラクな、手段についての知識を得ることで、やり過ごすことばかりできた。いつかこの場で中身ある情報を発信していますと言える“場”をつくりたい…そう思いつつも結局は肝心の中身に繋がる大切なものを断つようにして生きてきた。でもそれじゃあダメだってことも痛いほどわかっている。旅の恥はかき捨てみたいな人との関わり方を重ね続けられるわけもない。このサイトは本当は1年前に始動してみたかったのだけれど、トラブルもあって動かす動機に欠けていた。それについてはいつか書く。

この停滞の期間、最も不義理をしてしまったなと思うのが、ウェブ関係の学校に行ったとき、最終日に10人ぐらいの人と飲み会をやり、連絡先を交換したにも関わらず、そのときの自分には余裕がなく、無視するような対応をとってしまったことだ。全員非正規労働者の状態からウェブの学校に行った、自分と同じ、余裕のない立場の人たちだった。いつかその時ご一緒した方々に、このブログの存在を見つけられたら、許してもらえるようなものをつくりたい。

最後に、かつてバンドのチューリップが復活したときにキャッチコピーにしていた言葉で、この文を締めたい。「たった一度の人生ならば何度でも生まれ変わろう」。

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情報の流れが変わり、問題解決のあり方が変わる

2010 年 12 月 12 日 casuob コメントはありません

不特定多数の人々による出資で報道サイトを運営するSPOT.USのコンセプトを知って、もう2年の時が過ぎた。知る人ぞ知るといった段階から、1年あまり前にスタートアップしたのちには米大手紙でも紹介され、日本でもこの10月には朝日新聞すら紹介したほどに、コンセプトそのものは知れわたるようになってしまった。特定の目的のために、人が集まり、出資し、それが可視化されたなかで達成される。SPOT.USそのものは、運営ポリシーの厳格さからか、それほど活性化しているようには見えないけれど、注目すべき取り組みであることには間違いない。個人で同様のサイトがつくれないものかと思案しているうちに、この1年、グルーポンのような不特定多数が特定の購買行動のために集まるサイトが流行りはじめ、あれよあれよという間に商品ジャンルごとにサイトが運営されるほど事態は進んできた。そうしたクラウドファンディングのシステムが着々と社会のインフラになりつつあると感じる。ただ現状ではグルーポンのようなフラッシュマーケティングのシステムを制作会社に依頼して構築しようとすると、初期費用だけでも100万円以上はかかるらしい。やりたいって言うばかりじゃなくて、つくらなきゃ意味がないと思ってチマチマ勉強してはいるものの、独自にシステムを構築するのは、今の自分には厳しい(汗。

というわけで、昔つくったものの、あまりに素朴すぎて放置してしまったスライドをネットにあげて、そういうことに興味があるんだって声をあげることからネットの世界に復帰したい。不特定多数からの出資による報道?について考えるに、そもそも何のために報道が必要なのかと言えば、自分たちが生かされている社会がどういう社会なのか理解したいからだという思いが浮かぶ。そしてそもそも何で社会を理解したいかと言えば、一人ひとりが人生で抱えた課題をより適切に解決していきたいからだという思いに行き着く。不特定多数からの出資による報道?を不特定多数からの出資による情報発信と読み替えれば、政治家やNPOや社会起業の活動家がやっていることも、そうたいして変わらない。今の社会の情報の流れは、いまだ川上から川下へ流れるようなタイプが主流ではある。これからも基本的にはそうだろう。ただそれだけじゃない流れが生まれてきているのは確実だし、それを実感する場を目撃することも増えてきた。何かしらの問題を解決したいとして、必ずしも従来型の川上にあたるところの集団とコネクションがなくとも、問題の解決に向けて容易に集団が形成される状況が生まれているし、そのためのインフラも整いつつある。あまりの変化に尻込みしそうになることもあるけれど、自分にできることをやってみたい。以下、たった7枚だけどimpressでつくっていたスライドをアップ。





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偽装部数問題追及記者・黒薮氏、読売側提訴の名誉毀損訴訟に高裁でも勝訴

2010 年 4 月 28 日 casuob コメント 1 件

報告集会にて黒薮哲哉氏話す。


新聞社の偽装部数問題を追及してきたジャーナリスト・黒薮哲哉氏が、読売新聞西部本社およびその社員らに名誉毀損で訴えられていた裁判の判決が4月27日、東京高裁(大谷禎男裁判長)であり、読売側の請求は棄却され、黒薮氏完全勝訴の判決が出された。黒薮氏はこれで、読売新聞側を相手方とする裁判で5連勝。判決内容など詳報は、MyNewsJapanおよび黒薮氏自身のサイトにて報道される予定。

この裁判は、黒薮氏が自身が運営するサイト「新聞販売黒書」にて、福岡県内の読売新聞販売店が半ば強制的に契約解除を言い渡された事件を報じたところ、記事中でチラシ類を持ち去った行為を窃盗という表現を用いて形容したことや、直接チラシ類を持ち去ったのは読売新聞の社員ではなく関連会社(読売西部アイエス)の社員であるとして、読売新聞西部本社およびその社員の江崎徹志氏ら3人が名誉毀損を理由に、計2230万円の損害賠償を求め、2008年3月、提訴していたもの。昨年10月、一審判決がさいたま地裁で出され、黒薮氏が完全勝訴していた。

またこの裁判の原告の一人、江崎徹志氏(提訴時、読売新聞西部本社・法務室長)は、黒薮氏が販売店問題を報道する過程で、江崎氏が黒薮氏に送付した催告書をサイトで掲載したところ、その行為を著作権違反であるとして2007年12月に削除を求めた因縁がある。申し立ては2008年4月に裁判へと移行し、2009年3月、東京地裁で敗訴(関連:黒薮氏弁護団声明)、同年9月、東京高裁でも敗訴、そして今年2月、最高裁にて敗訴が確定した裁判を起こしている。

高裁判決を受け都内で開かれた報告集会(出版労連内、出版ネッツ主催)にて、黒薮氏は、「恫喝型の訴訟は、2003年の武富士裁判あたりから始まっているが、これまではまだ、そうした変な裁判を起こした人への追及が甘かったような気がする」「それを支援した人、弁護した弁護士の責任も問うことによって、こういう不当な高額訴訟をしたら、どういう責任をとらされるのかを知らしめ、不当な裁判が起きないような活動をしていきたい」と話した。

判決文を読んで弁護団からは、判決では、そもそも名誉毀損性がないと判断されていて「一般読者の普通の注意と読み方」をもってすれば名誉毀損ではないと判断されているので、読売新聞社は一般読者の普通の注意と読み方ができなかったということになる、と解説があって会場が沸いた。

ちなみにこの裁判の読売側の代理人は、一審では名誉毀損分野で著名な喜田村洋一弁護士が務めていたが、二審以降、TMI総合法律事務所という大手事務所の弁護士に変わっている。ただ喜田村弁護士は、この裁判以外の裁判では、変わらずに読売側の代理人を務めているという。

黒薮氏は読売側による提訴は、ひとつながりの一連一体的な言論弾圧行為であるとして、読売新聞側を相手方として今年2月、反撃的な損害賠償請求訴訟を福岡地裁に起こしている。(関連:読売「言論弾圧訴訟」に反撃、5600万円損害賠償請求

今回の判決は最高裁でも維持される可能性が高く、反撃訴訟への追い風となると考えられる。一連の裁判では、読売関係者と思われるスーツ姿の傍聴者がいるが、今回の裁判ではそれ以外と思われるスーツ姿の傍聴者も目についた。裁判の動向が気になるメディア関係者が増えているものと思われる。

また集会では、裁判の傍聴にかけつけた、北海道にて十勝毎日新聞の販売店を営む店主の方々によって、新聞本社側による特定の販売店への狙い撃ち的な値上げ要求が起こされている事態がアピールされた。価格固定的な再販制に守られた新聞の扱いとしては不当であるとして、公正取引委員会に調査を訴えている最中だという。背景には新聞産業が斜陽化するなか、本社側による販売店への支配関係の強化が進められている状況があるようだ。




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対司法記者クラブ、検察の出入り禁止“文書”は存在しない?

2010 年 4 月 26 日 casuob コメント 1 件

ここ数年、検察と報道を担うメディアとの関係について、思いをめぐらさずにいられない事件が立て続けに起きている。しばしば国策捜査と呼ばれる検察捜査に垣間見える恣意性と、その検察から漏れているとしか思えない情報を無批判に垂れ流すメディアとの関係に、不信感を抱いている者は増えているはずだ。堀江貴文・ライブドア元社長の逮捕、小沢一郎・民主党幹事長の政治資金をめぐる疑惑、村木厚子厚労省前局長の逮捕・・・。続けざまに進展する事件と濁流のような報道に、冷静に事実を追おうにも、その報道される事実の精度自体に疑いの目を向けざるをえない、今そんなやっかいな状況がある。

朝日新聞は昨年10月11日、新聞週間の特集記事のひとつとして、検察の出入り禁止措置をめぐる記事を載せた。裁判所や検察を取材する伝統的メディアの記者たちで作る司法記者クラブにおいて、1965年、毎日新聞が除名処分を受けた時のことを検証した内容のものだ。ある選挙違反事件の記事化の時期について、毎日新聞がクラブ内の申し合わせを破りクラブの除名処分を受けたとき、検察から、除名社とは会わないと言い渡され、定例会見などから締め出され、情報がとれなくなってしまったのだという。毎日は自社だけに特定の記事が載らない「特落ち」を引き起こし、最終的には屈服。記者を交代させてクラブに再加盟するにいたり、このときの経過が、クラブ内の他社には検察の組織的取材拒否事件として強烈な見せしめになったのだという。記事では、これが検察で今も続く「出入り禁止」の原型になったのではとの元毎日記者のコメントも掲載されている。(この記事はその重要性を慮ってか、ブログ「世界に架ける橋」で転記されていて、こちらのエントリーで読める)

朝日の記事では、「検察の出入り禁止」と題した以下のような用語解説がついている。

<検察の出入り禁止> 87年、東京地検特捜部名で司法記者クラブ各社に出された文書では、出入り禁止とするのは(1)部長、副部長以外の検察官、検察事務官などへの取材(2)被疑者等への直接取材など捜査妨害となるような取材(3)特捜部との信義関係を破壊するような取材・報道をした場合とされている。禁止内容には、「担当副部長の部屋での取材不可」から、最も重い「最高検、東京高検、東京地検への出入り禁止」まで各種ある。


この解説から、文書は出入り禁止になる要件を明示しようとした文書であったことがうかがえる。ちなみに出入り禁止の段階的な種別については、ジャーナリストの青木理氏が、週刊ポストの3月5日号において、3つのパターンがあることを書いている。

検察の捜査をめぐる報道は日常的に目にするものの、そのような報道がなされるまでの過程は、一般人にはわからない。司法記者クラブの加盟者を対象とした定例会見の場すら、そこでどのような情報が、どこまで話されているのか、部外者には不透明なままだ。捜査機関とはいえ、ある行政機関が日常的にどのように説明責任をはたしているのか、ほとんど見えてこないのだ。

検察への取材といえば、司法記者クラブの加盟者だけが定例会見への出席を許されていることもそうだが、午後4時から定例化した会見があるだとか、取材対象として許されるのが幹部と各部の副部長以上だとか、広報役の検察関係者に夜討ち朝駆けした各社が談合的に取材時間を分け合うだとか、非公式なルールが張りめぐらされている印象がある。

それだけにこの朝日の記事は驚くべき内容を含んでいた。出入り禁止のような検察側が最も裁量を発揮しやすい場面で、司法記者クラブに対してルールが文書化されていることが示唆されていたからだ。記事は87年に文書が出された事実が書いてあるだけで、現時点の運用にはふれていなかった。

そこで私は昨年10月、情報公開制度を用いて、東京地検と司法記者クラブとの間で交わされた出入り禁止をめぐる文書が存在するのかを確かめるため、開示請求を行ってみた。まず、記事に出てきた87年に司法記者クラブ各社に出されたとされる文書を請求し、次に、もしかしたらその文書の効力が失効しているかもしれないので、現時点において機能している出入り禁止措置の文書があるのならということで、「請求日現在最新の」という条件をつけ、さらに禁止内容の種別まで書かれた文書まであるならそれも見たいとして、条件を広げて請求してみた。

結果は約1ヶ月後、11月末に通知され、いずれも「開示請求に係る行政文書を保有していないため」として、不開示の決定がおりた。この結果を信じるかぎり、現在は検察の出入り禁止措置に関して、明文化されたルールは存在しない。2通の不開示決定の通知書はコチラになる。
地検出入り禁止文書10001 地検出入り禁止文書20001

朝日の記事によると、検事総長まで務めた吉永祐介氏が、特捜部長時代の79年ごろ、特捜部の出入り禁止措置をはじめたと語ったとある。産経新聞記者・石塚健司氏による『「特捜」崩壊』にも、吉永祐介氏が徹底的に捜査を秘匿する情報管理を行うことで、ミスター特捜の名を冠せられていった経緯が書かれている。そこには「廊下での佇立・徘徊を厳に禁ずる」と張り紙をして、記者の取材を抑制しようとしたエピソードも出てくる。

先ごろ22日、検察は全国の地検で定例会見などをフリー記者らにも開放すると発表した。ただ発表を見る限りでは、出入り禁止のような制裁措置が効力を発揮している日常的に開かれている会見(懇談扱いか?)を開放するものではなさそうだ。出入り禁止措置が存在すること自体は、さまざまな本の記述や証言から明らかだ。しかしその実態は、現在は非公式にさえ可視化されたルールは存在せず、検察の圧倒的裁量によって運用されているということになる。クラブ各社(少なくとも朝日新聞)が保持していたであろう文書が、現時点どのような意味を持っているのか、追って調べてみたい。





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広告を導入するテスト2

2009 年 12 月 28 日 casuob コメントはありません




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PDFを表示するテスト

2009 年 12 月 19 日 casuob コメント 1 件

(グーグル・ドキュメント・ビューアでの表示を試みましたが、現在リンク先は削除済みです。)

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